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右往左往~然る後 Part.3~

'11シーズン戦績
 3勝0敗1分


2011.10.28・29 Gリーグ ディヴィジョン1 第3・4節
vs 蜚蠊

徳島犬 VS 蜚蠊
前半 0 - 1
後半 1 - 0
得点 1分 蜚蠊
得点 3分+1 徳島犬

前半 1 - 0
後半 0 - 0
得点 1分 オウンゴール

退場 3分 蜚蠊

得点経過(~:ドリブル、→:グラウンドパス、↑浮き球パス、S:シュート)


試合会場 1階戸口・2階炊事場
天候 -- 気温 --℃
湿度 --% ピッチ 全面良混凝土・樹脂/乾燥・水たまり
入場者数 3・1匹 主審 徳島犬
試合時間 約4分


コメント
【試合後記者会見】

■徳島犬選手(徳島):
多くのサポーターが見守る中でしたので、不甲斐ない試合だけはできないぞと強い気持ちで臨みました。先制を許し、なかなか自分(たち)の想うようなゲーム展開ができず苦戦しました。相手をうまく誘い込み、先攻逃げ切りのゲームプランが早々に崩れ、終始うわずってしまいました。


質問1-① 初のアウェイゲームと引き分けをどう受けとる?

普段とは違った一戦になることは重々承知でした。相手にのまれず、自分(たち)のゲームをしようという強い気持ちが空回りした前半、その逆に良い意味で開き直れた後半。結果、展開のまったく読めないゲームとなったことはアウェイならではと肌で感じました。


質問1-② 1点リードされてのハーフタイム、にどのような指示をしたか?

リードされている時こそ冷静になろうと鼓舞しました。次の1点が試合を左右するのは目に見えていましたし、サポーターと共になんとしても勝ち点を持って帰るぞとハッパをかけました。


質問1-③ 次節は再びホームでの対戦、今の蜚蠊について

恐らく最終戦となるであろう大事な試合(正念場)と位置付けています。現在無敗・首位という状況を変に気負うことなくチャレンジしたい。試合は難しくなると思いますが、なんとしても勝ちたいと思います。
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徳島ヴォルティス 『ピッチサイドシート』ご利用のみなさまへ

○実施試合:2011Jリーグディビジョン2 第7節
         徳島ヴォルティスVSコンサドーレ札幌 10月26日(水) 19:00キックオフ
         鳴門・大塚スポーツパーク ポカリスエットスタジアム
○集合場所:時計台広場・正面玄関前
○集合時間:18:10~18:30
 ※時間厳守でお願いします。遅れた場合、観戦をお断りさせていただく場合もございますので、ご注意ください
 ※事前に参加が不可能とわかった場合は、必ず下記番号にご連絡下さい。
  徳島ヴォルティス:℡ (割愛)
2011年ホームゲーム会場席割図
  下記注意事項をお読みの上、安全な試合観戦にご協力ください。
ピッチレベルでの飲水は可とします。(水筒、ペットボトル持ち込み可)
 但し、お座席での食事はご遠慮ください。

②試合中の写真・ビデオの撮影は禁止です。
③履物は運動靴・スニーカーのみとなります。
 ※ハイヒール・スパイク等でのご入場不可です。
④応援フラッグ、鳴り物など応援機材の持ち込み、立ち上がっての応援は禁止です。
⑤ビジターチームのユニフォーム・グッズの着用および応援は固くお断り致します。
⑥キックオフ直前や試合中の退出、移動は原則できません。
 ※トイレはピッチ内に入る前及び、ハーフタイムにお済ませください。
⑦未就学児、車椅子の方の観戦はお断りしております。
⑧貴重品以外のお荷物は、総合案内にお預けください。
⑨雨天時の傘使用はできません。各自でポンチョ、合羽等をご準備下さい。
⑩集合時間に遅れた場合の途中参加は原則できません。集合時間には遅れないようにお集まりください。
⑪試合終了後、選手がベンチ内に入った後に、記念撮影を行いますので、
 着席したままお待ちください。
 ※写真は次節、ホームゲーム会場でお渡し致します。
⑫試合中にオフィシャルカメラマンが撮影した際、画像に観戦者の方が写りこむ場合がございますが、
 その肖像権は徳島ヴォルティスに帰属し、今後の徳島ヴォルティスの制作物・発行物・広報活動
 においてそれらの使用を許諾頂きます。
【上記事項、及び係員の指示に従わない場合は、ご退場頂くことがございます。】
 何卒ルールを守ったご観戦にご協力ください。

ピッチサイドシート

右往左往~然る後 Part.2~

'11シーズン戦績
 2勝0敗


2011.--.-- Gリーグ ディヴィジョン1 第2節
vs 蜚蠊

徳島犬 VS 蜚蠊
前半 1 - 0
後半 0 - 0
得点 1分 オウンゴール

警告 1分 蜚蠊
退場 3分 蜚蠊

得点経過(~:ドリブル、→:グラウンドパス、↑浮き球パス、S:シュート)


試合会場 2階和室
天候 -- 気温 --℃
湿度 --% ピッチ 全面良布/乾燥
入場者数 1匹 主審 徳島犬
試合時間 約4分


コメント
【試合後記者会見】

■徳島犬選手(徳島):
初めての早朝試合にまごつき無様な姿を晒した部分もありましたが、同じ相手に今回もきっちりと勝利できたことを評価したい。


質問① 数ヶ月で同じ相手と2試合。しかも相手は前回と違ってアグレッシブに挑んでくる要素があった。それに勝利したことへの評価は?

結果だけ見ると確かに勝利していますが、前節を上回る内容とはいきませんでした。欲を言えば自力での追加点がもう1、2点は欲しかったですね。


質問② 上位にいることで出てしまう緩みを、どのようにコントロールしているのか?

日常生活にも常に細心の注意を払いつつ、アンテナを高く張り巡らせています。気が休まる暇はありませんが、上位にいるチームならではの宿命だと思います。


質問③ 2011年のシーズンは2戦負けなし。これらの結果が今後にどんな影響を与えそうか?

今は「終わり良ければ…」の文字通りの心境です。今後(来季)の修正課題については、これから時間をかけて確認していくつもりです。

右往左往~然る後 Part.1~

'11シーズン戦績
 2勝0敗


2011.--.-- Gリーグ ディヴィジョン1 第1節
vs 蜚蠊

徳島犬 VS 蜚蠊
前半 0 - 0
後半 1 - 0
得点 4分 徳島犬

4分 殺虫剤 → 新聞紙

警告 --分 蜚蠊
退場 5分 蜚蠊

得点経過(~:ドリブル、→:グラウンドパス、↑浮き球パス、S:シュート)


試合会場 2階和室
天候 -- 気温 --℃
湿度 --% ピッチ 全面良畳/乾燥
入場者数 1匹 主審 徳島犬
試合時間 約5分


コメント
【試合後記者会見】

■徳島犬選手(徳島):
言わずもがな相手はパイオニアなので、胸を借りるつもりでチャレンジしました。
前評判通りの苦しいゲーム展開でしたが、相手のミスも重なり、比較的試合運びにあせりはなかったと思います。
事前に準備期間を設けて、トレーニングにも余念がない状態で挑んだ一戦で、結果がついてきたことをまずは素直に喜びたいです。


質問① 徳島犬の良さが非常に出た試合だったのではないか?

前半は寝惚け眼でしたが、後半の早い段階でリカバリーでき、数少ない好機を活かせた点は大きいですね。終始冷静に対処できたと思います。


質問② 残りの試合をどう戦っていくか?

残りシーズンから考えても、次が天王山になるのではないかと思います。驕ることなく日々のトレーニングに研鑽します。


質問③ 選手として成長している部分は?

ありとあらゆる面で、まだまだ発展途上の段階にあると思います。今後もこの度のモチベーションやパフォーマンスの質を維持していきたいですね。

平成23年8・9月20日 うずしおらいふ No.275・276抄録

鳴門の先人
上原 安兵衛(上・下) (1903~1980)

 合併前の旧北灘最後の村長上原安兵衛について顕彰したい。
出生は明治三十六年八月八日。父・安平(明治六年二月二十三日生)母・マスヱ(同八年九月一日生)の長男である。

 上原家は藩政時代は名字帯刀を許され代々与頭(くみがしら)庄屋役を勤めた家柄で、農業を営む土地の名家であった。
安平は村会議員を何期も勤め、村の発展に功績のあった人物である。

 安兵衛は大正十二年歩兵第六十二連隊(徳島)に入隊、成績優秀で帰郷し村民の人望を高め、在郷軍人北灘分会長に推される。
その後は消防組頭や警防団長、村会議員の要職を重ね昭和七年四月には助役に挙げられる。
翌八年九月一日全村民の期待をになって村長に就任する。若干三十才である。
戦後は公職追放令の対象となり三十年五月の解除まで隠忍自重の生活を送ることとなる。

 再び開花したのは昭和三十年四月三十日の統一地方選挙である。
満を持して望むが安兵衛以外に立候補者なく無投票当選となる。
ところが翌年鳴門市への編入合併が決まり、わずか一年有余にして村長職に終焉を告げることとなる。

 も少し具体的に説明すると、この合併話については、昭和三十年二月大津村と鳴門市との合併が実現された頃より、北灘村民の世論がまとまってきた。
が、一方当時香川県側の引田・相生・小海の三町村から合併の申し入れがあり、西部の村民は歴史的にも地理的にもまた経済的つながりも強いため食指を動かした。
一部は分村問題の提起など住民間に大きな動揺もおこったが、香川県への分村については漁業権をはじめいろんな面に影響がでることがわかり、また徳島県も熱心に鳴門市合併をすゝめたのでこの問題は解決する。

 といった次第で新上原村長も手腕を発揮し鳴門市への編入合併が決まった。

 この時の両市村間の協定により、北灘村議会議員は鳴門市議会議員の残任期間中(次の地方選挙日まで)鳴門市議会議員となった。

 このため四十五人分の議席が必要となり、急遽椅子が議場にならべられた。
歳費も二千円から二万円へと訂正された。職員の給与是正があったことも勿論である。 (続く)


   承前 (続き)

 昭和十九年五月三十日、瀬戸町明神の櫻木孫太郎・コウメの長女テルコ(明治四十二年八月十五日生)と結婚す。
テルコは徳島女子師範本科を昭和二年三月に卒業した正規教員で、同四年三月に北灘東小学校に赴任、通算十一年間にわたって同校に勤務している。
退職後は鳴門市連合婦人会々長などを務め女性活動の先駆者としてその名を残している。

 さて、鳴門市への合併後の安兵衛の足跡は、夢のかけ橋といわれた本土・四国連絡架橋促進運動ひとすじの生涯を送ることとなる。

 以下架橋運動に執念を燃やし続けた安兵衛人生記録の一端を列記してみよう。

 昭和三十三年三月二日、「本土四国建設鉄道ならびに小鳴門橋架橋促進期成同盟会」が鳴門市民を中心に中央公会堂(鳳鳴閣)において結成された。
安兵衛はその会長に推挙され、架橋運動に命をかけた男のロマンと大活躍がはじまる。

 同三十六年七月、原菊太郎知事らの大英断と努力により小鳴門橋が開通した。
安兵衛はこの橋の南詰のカーブで最も目につきやすい地点に「次は鳴門大橋を」の大看板を早速建て県民の耳目を集めた。
この頃大毛島の開発を計画していた南海電鉄本社と交渉し、その寄付金をもって建設費としたのである。

 その後池田勇人総理をはじめ河野一郎建設大臣ら多くの関係大臣が鳴門海峡の視察に訪れ、その都度上原会長の出番が多くなった。
始めは明石―鳴門が国の方針の先端を切っていたが、瀬戸大橋や島なみルートなどの巻き返しにあい、あせった県・市・同盟会は県民の署名をつのる。安兵衛はその先頭に立ち主役を務めた。
四十年八月には八万人の署名を持って政府や国会に白ダスキ姿で直接陳情をし、また大磯の実力者吉田茂元老宅へも出かけた。

 その結果、四国から三橋もかかる政治決着となり世論を高めることとなる。

 昭和六十年六月、三橋の先鞭を付けて先ず道路橋の大鳴門橋が完成した。

 右手に酒盃、左手に饅頭を持つ大酒豪大食漢は有名で戦国時代の武将の風格をもつ大人であった。

 昭和五十五年四月一日、国立徳島病院で残念にも大鳴門橋の落成を見ることもなく他界。

 菩提寺は櫛木の禅定寺(眞言宗)。同寺内の墓地に眠る。


――なんともまあ偉大な御方だ。
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徳島犬

Author:徳島犬
「NO MUSIC, NO LIFE.」

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